Issyk-Kul Cycling, Kyrgyzstan |
自転車イシククル湖一周 |
自転車イシククル湖一周 : 地図、GPSデータ、ルートProfiles、写真。 Around Issyk-Kul by Bicycle : maps, GPS data, route profiles and photos. |
目次 Contents
Map of Central Asia |
Kyrgyzstanは●で囲まれた国である。clickで拡大地図。 今回自転車走行したのは画面右上にあるIssyk-Kul湖周辺である。 上記地図の中央部はフェルガナ盆地で、ソ連邦解体に伴い、新たに国境が規定され、Kyrgyzstan、Uzbekistan、Tajikistanの国境・人種が入り乱れている。借地・飛び地もある Kyrgyzstanの首都Bishkekに日本から行くには次のルートがある。 A:Uzbekistan航空で成田→Tashkent(乗り換え)→Bishkek (成田→Tashkentは週一便) B:Asiana航空で成田→Inchon(乗り換え)→Almaty→陸路・空路→Bishkek C:Korean Air, Asiana航空で成田(羽田)→Inchon(乗り換え)→Tashkent(乗り換え)→Bishkek Tashkentまでの便数は多い。 Tashkent 乗り換え ・Tashkent→Bishkekへの便が週末は少ないので要注意。 ・Tashkent乗り換えの場合、時間的余裕があればSamarkand等に行くことができる。 (飛行機1時間、鉄道2.5〜3.5時間) Almaty着 ・陸路でBishkek間を往復する場合は道路混雑、通関の煩わしさが問題 ・特にBishkek→Almatyはかなり大変 ・カザフ側の大草原とキルギス側の山を見ながらの景色はよい。 ・Almaty・Bishkek間は空路もあるが使用した経験なし。 小生は2001年3月積雪が残る中、怖い思いをしながら初めてこのルートを車で走行した。素晴らしい景色を見てあの雪山を越えてIssyk-Kulまで行ってみたいと思った。しかし現在は交通量が増えすぎた。 |
中央アジア諸国の基礎データ (出所:「中央アジア・コーカサスと日本」外務省国内広報課 2008.12) |
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Kyrgyzstan | Uzbekistan | Kazakhstan | Tajikistan | Turkmenistan | 日本 | |
首都 | Bishkek | Tashkent | Astana | Dushanbe | Ashgabat | 東京 |
人口(万人) (2007年) |
540 | 2,740 | 1,540 | 670 | 500 | 12,800 |
面積(千ku) | 199 | 447 | 2,725 | 143 | 488 | 378 |
一人当たりGDP USD、2007年 |
730 | 858 | 6,743 | 513 | 1,930 | 34,252 |
民族 | キルギス人64.9% ウズベク人13.8% |
ウズベク人80% ロシア人5.5% |
カザフ人58.9% ロシア人25.9% |
タジク人64.9% ウズベキ人25.0% |
トルクメン人85% ロシア人5.0% |
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公用語 | キルギス語 ロシア語 |
ウズベキ語 ロシア語 |
カザフ語 ロシア語 |
タジク語 ロシア語 |
トルクメン語 ロシア語 |
日本語 |
宗教(主として)イスラム教スンニ派 |
Contour Map of around Issyk-Kul | ||
Issyk-Kul 湖周辺等高線図:2006年作成 | ||
Issyk-Kul湖の周囲の山は多くが4,000m級の山である。 | ||
click で拡大画像表示 |
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湖の大きさは琵琶湖の9倍で冬も凍結せず、流入する川はあるが、流出する川はない。 西域の歴史に造詣の深い井上靖氏は、65年と68年の2回、Issyk-Kul湖行きを試みたが、当時のソ連外務省から許可されず、2度目のビザ申請の際には「軍事機密があるなら、湖までは目隠ししてもいい」と懇願したが認められなかったという。 |
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Around Lake Issyk-Kul by Bicycle |
OpenStreetMap around Issyk-Kul |
Route Profiles. |
GPS data "new_issyk_kul _total_track.zip" can be down loaded. |
01 Bishkek to Tamga (by car)
May 17, 2012
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OpenStreetMap of Kyrgyzstan. なお、OpenStreetMapの地図はGoogle Chromeでhttp://garmin.openstreetmap.nl/ を開いてください。 Internet Explorerでは開けません。 |
Bishkek:朝、宿の窓から見えたAla-Archa山系の山々 |
Tamga 村の入口に飾られたミグ戦闘機。Tamga には国防省が運営するサナトリウムがあり、その入口であることを示す。 "Mig Jet Fighter" as a road sign showing the turn-off to the sanatorium of Ministry of Defense. |
同上 |
Issyk-Kul湖 |
Issyk-Kul湖 |
Issyk-Kul湖 |
Tamga村 |
Tamgaサナトリウム入り口付近で当方持参の竹とんぼで遊ぶ兵士 |
Tamgaサナトリウム入り口 |
タムガ サナトリウム創立80周年記念式典・キルギスにおける日本人捕虜の解放65周年記念式典における舞踏 |
同上 |
同上 |
同上 コムズの演奏 |
舞踏 |
舞踏 |
展示室に展示されたはがき(抑留者間の帰国後の文通) |
展示室に展示されたはがき(抑留者間の帰国後の文通) ライオン像を制作した山下氏のはがき |
参加者一同 |
記念植樹 2014年7月の植樹された桜の状況 |
サナトリウム敷地内から見える氷河 |
Issyk-Kul湖畔からTamga方面を望む。 南岸は観光地として有名な北岸のCholpon-Ata 等と比較して道路が湖面に近く、人も少なく、景色も素晴らしい。 |
Issyk-Kul湖畔からTamga方面を望む |
Issyk-Kul湖南岸。 |
Issyk-Kul湖南岸。 |
Issyk-Kul湖南岸。南岸全体がプライベートビーチの様なもの。雪山を見ながら泳げる。 |
Issyk-Kul湖南岸。 |
Issyk-Kul湖南岸。 |
Issyk-Kul湖南岸。素晴らしい雲の景色。 |
Issyk-Kul湖南岸。TamgaからTonまではこの様にIssyk-Kul湖に沿って自転車走行できる。 |
Issyk-Kul湖南岸。Tonに近づく。(2006年撮影) |
Issyk-Kul湖南岸。Tonに近づく。(2006年撮影) |
Issyk-Kul湖南岸。Tonに近づく。(2006年撮影) |
Issyk-Kul湖南岸。Tonに近づく。(2006年撮影) |
Issyk-Kul湖南岸。Tonに近づく。(2006年撮影) |
Issyk-Kul湖南岸。Ton。ここから道は暫く湖岸を離れる。2006年撮影。 |
Kajy Say付近に設置された絵 右:2010年4月の暴動時に大統領府の屋上から狙撃する狙撃兵 中央:怒る民衆。竜は怒りを示す。 左:英雄マナスのTalasタラースにある墓 |
峠(Ak-Say付近) |
Balykchy に向かう道からの景色。 |
パトカー、支援車(自転車に乗らないで参加した人、現地人通訳・案内人、自転車に不慣れな現地人が移動の際に使う)、自転車・荷物等の運搬車(我々の活動を支援してくれた、飲料メーカー・販売のShoro社の車)。 |
Balykchyの朝。カザフスタン国境の山々。 |
Balykchyの朝。 |
Balykchyの朝。カザフスタン国境の山々。 |
Balykchyの朝。Issyk-Kul湖。Issyk-Kul湖南岸の山々。 |
縄跳び同好会?の皆さん。 |
縄跳び同好会?の皆さん。 縄が空気を切る「ビュンビュン」という音が力強く聞こえました。この体格ですばらしい体力。皆さん感心して見ていました。 |
縄跳び同好会?の皆さん。よい笑顔ですね。 |
Bishkek〜Balykchy 間線路の引き込み線末端?。 |
04 Balykchy to Cholpon-Ata
May 22, 2012
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カザフスタン側の山。(2006年撮影) |
休憩。Issyk-Kul湖北岸の道路からは湖面は比較的見えにくい(南岸の道路からは見えるが)。(2006年撮影) |
カザフスタン側の山。(2006年撮影) |
ポプラ並木での休憩。(2006年撮影) |
並木の間を走る道路。(2006年撮影) |
昼食。 |
昼食場所から見えるIssyk-Kul 湖。 |
昼食場所から見えるIssyk-Kul 湖。 |
Cholpon-Ata岩絵博物館 岩絵には岩に画を描くものPictographと、岩の表面を削って画にするもの等があるが後者をPetroglyphs Petroglyphs - carvings into stone surfaces という。 以下の岩絵は黒っぽい岩の表面を削って描かれている。 なぜ、岩が黒っぽくなったのか? 「黒っぽい岩の表面は『デザート バーニッシュ』と言われ岩の表面に粘土やマンガン、酸化物や鉄などのミネラルが長い時間かけて蓄積されこのような光沢のある黒い色が付着したように見えるのです。」 http://climbwoman.at.webry.info/200904/article_13.html |
Cholpon-Ata岩絵博物館 |
Cholpon-Ata岩絵博物館 左上、右下に褐色の苔が着いています。これは柔らかいものではなく、ブラシの様に固いものです。かつてこの苔を除去するためにドイツの援助?で薬品を使ったところ、岩絵全体が薄くなり絵が不明瞭になってしまったということがあるそうです。この件を案内人に聞いたのですが知りませんでした。 |
Cholpon-Ata岩絵博物館 |
Cholpon-Ata岩絵博物館 |
Cholpon-Ata岩絵博物館 |
Cholpon-Ata岩絵博物館 |
Cholpon-Ata岩絵博物館からIssyk-Kul湖を見る。 |
Cholpon-Ataの日の出(2006年撮影) |
Cholpon-AtaからKarakol方面に向かう。(2006年撮影) |
Cholpon-AtaからKarakol方面に向かう。スイカ休憩。(2006年撮影) |
ハミウリを持つガイド・通訳のJanybekさん(2006年撮影)。 |
ハミウリの切り方。独特ですね。ハミウリはスイカの味ではなくメロンの味。甘くてとても美味しい(2006年撮影) |
Karakol方面からCholpon-Ataに向かう(2007年撮影) |
Cholpon-AtaからKarakol方面に向かう、Issyk-Kulの東岸に近づくと山は緑に覆われる。日本の山を思わせる。東岸は湿度が高いらしい。(2006年撮影) |
カザフスタン側の山々。国境まで約10km。4,000m級の山。 |
Kuturguの朝。Issyk-Kul湖の向こうに雄大な山々が見える。天山山脈です。右端にひときわ高い山が見える。あれは何か? |
望遠レンズで撮ると山の姿がより明らかになる。群を抜く高さ、容姿も素晴らしい。立派な山である。Khan Tengri 6995m(氷河の部分を加えると7010m)ではないのか?。距離は約180km。 Khan TengriやPobeda峰7439mはKarakol から車・ヘリコプターで麓に行かないと見えないと思っていたし、そう聞いていた。 Khan Tengriの画像検索で見た山容とこの写真の山とはよく似ている。 |
早速、NASAのSRTMデータ(SRTM-3, 90mメッシュ) とKashmir3Dを使い、等高線図を描いてみた。 |
Karakol からKhan Tenri ,Pobedaを見ると手前の高い山に遮られて見えない可能性がある。一方我々がいたKuturgu からは手前の山が低く、離れているので条件はよいであろう。 |
なお、SRTMも氷河部分、山頂周辺では標高データが欠落していることが分かった。 |
KuturguからKhan Tengri の頂上までの断面図を描くとKhan Tengri は見えるであろうことが分かった。撮影した山の形もよく似ているしKhan Tengri は見えた、と思う。 |
なお、頂上付近はSRTMの標高データが欠落しているので断面図は標高ゼロになっている。 |
一方、Karakolからは手前の山に遮られてKhan Tengri は見えないであろう。 |
同様に、KuturguからPobeda は見えるであろう。 ただし、Pobeda の山容はKhan Tengriの様な特徴がないので判断が難しい。 |
Karakol からPobeda は見えないであろう。 |
Pobeda、Khan Tengri があるのはInylchek glacier地域であり、6000mを越える山(●)が7座もある。勿論5000mを越える山もたくさんある。 以下の写真はこれらの山々である。山の名前は残念ながら特定できないが、天気に恵まれ素晴らしい景色を見ることが出来た。 Pobeda(7439m)は天山山脈の最高峰、Khan Tengri (6995m)は天山山脈の2番目の高さの山で、キルギスの3番目に高い山である(2番目はLenin 7134m)。また、Khan Tengri はキルギス、カザフ、中国の国境にある。 |
この山も素晴らしい。 |
Kuturguから見た天山山脈。 |
Kuturguから見た天山山脈。 |
Kuturguから見た天山山脈。 |
Kuturguから見た天山山脈。 |
何とKuturgu の宿の庭に温泉が湧き出ていた。直接かぶるには適当な温度であった。利用してないとは勿体ない。 |
カザフ側の山の稜線の残雪 |
KuturguからKarakolに向かう道からの景色。 |
KuturguからKarakolに向かう道からの景色。 |
道端で麺を売っていた。 |
半透明の麺はトウモロコシの蛋白から作るらしい。 |
洗面器などの容器に固めた白い寒天?の山を複数の穴があいた道具でかいて麺状にする。 余り衛生的ではないがとても美味しい。 |
Karakolにあるロシアの探検家Nikolai Mikhaylovich Przhevalskyニコライ・ミハイロビッチ・プルジェワルスキー博物館入口。 |
博物館。 |
敷地内。 |
像。上部のワシはあまりにも本物に似ているので鳥がとまらないといわれる。 |
プルジェワルスキーの肖像画。大男だったという。 |
敷地はIssyk-Kul湖畔にある。昔は水位はもっと高かったとのこと。 |
The Russian Orthodox, Holy Trinity Cathedral in Karakol |
The Russian Orthodox, Holy Trinity Cathedral in Karakol |
The Russian Orthodox, Holy Trinity Cathedral in Karakol |
The Russian Orthodox, Holy Trinity Cathedral in Karakol |
Dungan Mosque |
Dungan Mosque |
Dungan Mosque |
Karakol Zoo。Karakol天山動物園入口。 費用不足で見られる動物は僅か。 |
オオカミ。 |
こんな鳥もいました。 |
07 Karakol to Kyzyl-Suu via Djyluu Suu Hotsprings
May 25, 2012
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Karakolの朝。2006年宿泊した宿付近から撮影。 こんな山が街の中からすぐ近くに見えるとはさすが登山基地でもあるKarakolである。 日の出と共に刻々と変化する険しく素晴らしい山の景色。2012年の旅でもう一度この景色を見たくて朝5時にタクシーを手配してこの場所を探したが分からなかった。 山の位置は分かるのだが、個人の敷地で塀があって入れない等で結局この場所に近づくことは出来ずに残念であった。 タクシーの運転手には事前にホテルから見えるこの山を示してこの山を近くで見えるところと説明したのだが運転手は山の景色、撮影のポイントなどと云うことにはあまり関心がないのだろう。 |
Karakolのスキー場に行く途中からの景色。 |
Karakolのスキー場に行く途中からの景色。 |
Karakolのスキー場に行く途中からの街の景色。 |
KarakolからKyzyl Suuに向かう道路からの天山方面の景色。 |
KarakolからKyzyl Suuに向かう道路からの天山方面の景色。 |
Saruu Suu を上って行ったところにある温泉。Djyluu Suu Hotsprings. 標高2,190m。 ユルタの形をした建物の中に温泉と脱衣所がある。風呂は男女別にあり、浴槽も比較的大きく深い。 |
温泉の成分表。 |
何と驚くべきことにこの温泉がGPSのフリーソフト Open Street Mapに掲載されていた。 今回の旅(Uzbekistanを含む)では事前に該当地域のOpen Street Map最新版をdownloadしておいたが我々が行った場所は殆ど道路が記載されており感激した。 Google Mapsには勿論記載されていない。Google Mapsはその目的上都会部、人がたくさん住んでいるところの地図は詳しいが、人が少ししか住んでいないところの地図は極めてお粗末。 |
Djyluu Suu Hotspringsへの入口はSaruu Suuであり、舗装されていないアップダウンのある道を約17km標高差約500m上る。 |
KarakolからTamgaへ向かう幹線道路から15kmのところにあるJeti-Oghuz(奇岩で有名。温泉療養施設あり)、で見た養蜂業者の箱。蜂蜜をPETボトルに入れて販売している。(2007年撮影) 天山蜂蜜と云うとNHKで放映された「天山蜜に挑む 蜂客(はっか)6000キロの旅」を思い出す。ストーリーはこちらをご覧下さい(リンク修正しました)。放送内容をとても丁寧にまとめてあります。小生もこの番組を見て天山蜂蜜にとても興味を持った一人です。 |
Barskoonの手前の湖岸(2008年撮影) |
Barskoonの手前の湖岸(2008年撮影) |
早くTamgaに着いたので町の外の渓谷を散歩する予定であったがガイドが多忙なため、散歩を諦め養蜂家を訪問した。家の入口。 |
庭に養蜂箱がかなりの密度で置いてあった。 |
蜂の様子。 |
その後、村の脇道を歩いていると煙の臭い。パンを焼いているのではないかと行ってみると、家の入口の道端に日干し煉瓦で作ったような大きな釜があり、燃やした薪を取り出しているところだった。パンは余熱で焼く。上部に煙突の様なものがある。 2枚下の写真の様にパンの生地を入れて45分後に出来ると云う。(言葉は分からないがforty five minutesだけは分かった) |
釜の入口は鉄製の蓋をして上部は濡れた布を被せていた。 |
買い物をした後、45分後に行ってみると誰もいない。木戸を開けると女の子がいたので釜を指さすと、通りの向かいにる家に行き、お母さんを連れて来た。鉄製の蓋を開けて、パンを取り出した。トレーは2-3段ある。 50ソム(約100円)出したところお金はいらないと云うが、受け取ってもらい、焼きたての大きなパンの約1/3を切ってもらった。早速食べようとしたが熱くて千切れない。それでもようやく千切って食べた。とても美味しかった。なぜか焼きたてのパンを食べると幸せな気分になる。 |
09 Tamga to Arabel valley via Barskoon
May 27, 2012
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Tamga からBarskoonを経由してArabel valley(アラベル盆地)に車で行き、その後自転車で下り走行した。 車で行ったのは、Sook Pass方面とKara-Sayへの迂回路(Bedel、Kumtor方面)の分岐点までであった。そこでも標高は3803mを記録した。 Kumtor金鉱山は画面右端にある。 |
Kumtor Gold Mineの位置 |
ArabelからIssyk-Kulまでの標高差は約2,200m。最初の1,000mは下記のジグザグ道。上記のProfileで見ると最初の1,000mの勾配はそう大きくないように見えるがそれは道がジグザグしているからで斜面全体の勾配は明らかに大きい。 |
Arabel valleyの等高線図(2008年遠征時作成) 上図で、左上のTurnoff(分岐点・我々の車が止まったところ)から岩絵まで約40kmで標高3,800mから3,500mに下がり、岩絵からBridge(broken)まで20kmで3,500mから3,300mまで下がっている。いずれにせよ、3,500m付近のなだらかな道が約60km続いている。周囲の景色は雪山と草原である。 周囲の山は標高4,000〜4,500mであり、圧倒的な素晴らしい景色である。こんな景色を見ながら40〜60kmも自転車走行できるとは幸せである。 上記のTurnoffとKara-Sayの間にSook Pass4024mがあるがKara-Sayの手前にあるBridgeが壊れているためSook Passを通る道は通行不能。 道路も金鉱山のおかげでそれなりに整備されている。こんな素晴らし自転車走行環境は滅多にあるものではないだろう。 それに加えて緊張の連続のBarskoonのジグザグ下りもある。 等高線図はNASAのSRTM-3を使いKashmirで作成した。 |
ジグザグ道全体。 |
ジグザグ道の前半。 |
ジグザグ道の後半。 |
Barskoon からArabel valleyまでの道の等高線図。 |
A:Sook Pass方面とKara-Sayへの迂回路の分岐点(標高約3,800m) |
C:ジグザグ下りの坂上(標高約3,800m) |
D:ジグザグ下りの坂下(標高約2,800m) |
B:Barskoonの国道分岐点(標高約1,600m) |
Barskoon村付近の新道と旧道。 |
この新道は1998年に発生したシアン化ソーダ流出事故(シアン化ソーダのペレットを積んだトラックが谷に転落しペレットがコンテイナーから外部に流出し川・湖を汚染し、住民被害も発生した)に対応し、村を経由しないバイパス(新道)を建設したと云われる。自転車走行では新道はアップダウンが激しくお勧めできない。 事故の詳細はこちらを参照。参照-1、参照-2. ・1998年5月20日に、シアン化ソーダ約2トンがBarskoon川に流出。シアンを酸化して毒性を弱めるため次亜塩素酸ナトリウム(NaClO)が散布された。これら二つの化学薬品により、 死者4人、数百人が治療を受け、数千人が避難すると云う事故が発生した。 ・1998年7月硝酸70リットルがばらまかれた。 ・2000年1月には硝酸アンモニウム(爆薬)1,500kgがばらまかれた。 以上の様な事故に対し、BarskoonやTosorの住民が抗議活動を行い、1998年6月にKumtorへの道路の封鎖を行った。 2007年5月にも環境問題として道路の封鎖を行った。 |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley |
Arabel valley(走行する我々のメンバー) |
Arabel valley(走行する我々のメンバー) |
Arabel valley(走行する我々のメンバー) |
Arabel valley |
Arabel valley(走行する我々のメンバー) |
Barskoonのジグザグ下り(2008年撮影) |
Barskoonのジグザグ下り(2008年撮影) |
Barskoonのジグザグ下り(2008年撮影) |
Barskoonのジグザグ下り(2008年撮影) |
Barskoonのジグザグ下り(2008年撮影) |
Barskoonのジグザグ下り(2008年撮影) |
Barskoonから上ってきてジグザグ上りにかかる手前で上部峠(ジグザグ上りのトップ)と交信して交通規制をしている。待たされているKumtor行きの車列。(2007年撮影) |
Barskoon渓谷(ジグザグ道よりBarskoon村寄りにある)。2008年撮影。 |
Barskoon渓谷にある滝。いくつかの滝がある。2008年撮影。 |
Barskoon渓谷にある滝。いくつかの滝がある。2008年撮影。 |
滝へ上る道に咲いてたエーデルワイス。 |
滝へ上る道に咲いてた花。 |
滝へ上る道に咲いてた花。 |
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Kumtor Gold Mine(クムトール金鉱山) 目次へ |
所在地はBarskoonの項の地図参照。 |
鉱山の画像-1 |
鉱山の画像-2 |
Kumtor Gold Mine について |
Kumtor Gold のホームページ |
Kyrgyz の金鉱山について |
キルギスにおける金生産はそのほとんどが同国東部のイシク・クル州(Issyk Kul)でカナダのCenterra Gold(センテラ・ゴールド)の完全子会社Kumtor
Gold Company(クムトール・ゴールド)が所有する同国最大の金鉱山で世界でもトップクラスの生産規模を持つKumtor鉱山の生産による。同鉱山はカナダのCameco(カメコ)とキルギス政府のJVによって開発が進められ、1997年に生産を開始。2008年には年間約55万オンスの金が同鉱山から生産されている。 同国では1969年より探鉱が行われていたジャラル・アバド州(Jalal-Abad)東部のMakmal金鉱床から国営企業Kyrgyzaltyn(キルギザルティン)によって1986年に金生産が開始、Makmal鉱山では年間5万オンス程度の金が生産されていたがKumtor鉱山の生産が1997年に開始されたことで同年にはキルギス全体の年間金生産量が前年比で10倍に急増。以来、Kumtor鉱山はキルギス経済を支える重要な鉱山となっている。 同国西部ではスイスの資源企業Chaarat Gold Holdingsが隣接する複数の鉱区で探鉱を行っており(Chaaratプロジェクトなど)、将来的にKumtor鉱山に次ぐ国内の主要金鉱山となるポテンシャルを秘めている。同社には2009年に中国の国営資源大手である中国有色鉱業集団(CNMC)が19.9%出資することで合意している。 また同じくキルギス西部では英国のKazakhmys(カザキミス)の金部門であるKazakhmys Gold(カザキミス・ゴールド、旧Eurasia Gold)がBozymchak金鉱床の開発を進めている(Bozymchakプロジェクト)。 |
10 Tamga to Bishkek via Burana and
Ak Beshim (by car)
May 28, 2012
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Tamga付近を走る干し草満載のトラック。干し草を安定して積載する技術は難しいという。 |
BalykchyからBishkekに向かう道に沿って流れるChu River。 Issyk-kul湖のすぐ近くで流れを曲げ、Issyk-Kul湖と接していない。この川はKyrgyzstanとKazakhstanの国境を流れ最後にKazakhstanで消える。 |
Burana Tower 高さ45m |
Burana Towerから |
Burana Towerから |
石人? 野外博物館の石人(Stone Sculpture)キルギス各地から集めたという石人70体が並べられていた.他に石臼や岩絵を刻した石なども置かれている.一般に石人は戦士の墓石と言われているようだ.片手に酒のグラスを,一方に剣を持っているデザインが多いようである。お地蔵さんのように柔和な顔で,戦士より寧ろ悟りを開いた人が多く,好感が持てるような気がする。 石人は中国のアルタイ地方やモンゴルでも見ることができるそうで,キルギスからモンゴルにかけて広がった文化のようである。そしてその分布から突厥(とっけつ:6世紀から7世紀ごろ中央アジアに存在した遊牧民族と,それが起こした中央ユーラシアに覇権をうちたてた遊牧国家.アルタイ山脈の麓に住んでいた)の戦士の墓石とされているようである。 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
石人 |
Ak Beshim遺跡(2006年撮影) |
Ak Beshim遺跡(2006年撮影) |
State Opera & Ballet Theatre, Bishkek
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この様な会場(大ホールは別にある)でキルギスの唄を歌う夕べが行われていた。 キルギスの唄を忘れないための企画とかで第1回は2005年に行われたとのこと。 今回は第2回。 入場無料。国の支援あり。 |
小生は前から2列目の席に座った。キルギスのオペラ歌手10人(男5人、女5人)が25曲を歌った。 歌手との距離は10m以内。素晴らしい歌声に圧倒された。 小生の前の席の老人が歌が終わると何人かの歌手に本の様なものを渡していた。彼は詩人?でその作品を歌手に渡しているとのこと。 終了後は歌手と観客(単なる観客ではなく文化人?)との交流が和やかに行われていた。 司会の言葉、終了後の挨拶など全く理解出来ず残念。 Bishikekにある主要劇場 |
・Philharmonia |
・State Opera & Ballet Theatre |
・State AcademicDrama Theatre |
・Russian Drama Theatre |
入場料は極めて安いとのこと(500円?)。 |
前日午前に劇場を回ってプログラムを調べた。結局選択出来るのは、翌日のロシアのコメディーと上記のプログラムであることが分かり、このプログラムを選択した。 |
前日夕方はカラオケに行った。日本のカラオケ部屋とは比較にならない大きな部屋であった。ロシア語のカラオケが主体であるが韓国語・英語・日本語のカラオケもある。日本語の時は店員がdiskを交換していた。日本語の歌の時の画面は立派な映像ではなく、人形が踊っていたりであった。コストと著作権の問題があるのだろう。 ロシア語カラオケの画面はスキー場の素晴らしい画面もあったが一般的には貧弱でモーターボートの画面、別荘地の画面などであった。何年か前の日本の状況であろうか。なかなか楽しかった。 |
ピラフ大食堂でのピラフ調理 |
ピラフ大食堂でのピラフ調理 |
ピラフ大食堂 2階席もある。料理はピラフだけの様だ。 |
Tashkentの日本庭園(結婚式の記念撮影場所として人気があるとのこと) 赤いバッグを持った人が我々の通訳。29歳のロシア人。日本語勉強9年とか日本語ぺらぺら。その上、井上靖の「西トルキスタン紀行」をロシア語に翻訳したとのこと。そのため日本で井上靖の息子さん達と静岡で会っている。 何しろ頭がよくて、知識豊富、日本語がうまい。こんなガイドのツアーに参加したらさぞかし楽しいだろう。帰国後、日本人観光客の忘れ物を日本の旅行会社に届け、ついでに彼女の評価を聞いたところ、過去2回のツアーでは顧客の評価は素晴らしいとのことだった。 彼女はガイドより、通訳、調査、翻訳などの業務を主としており、ヒマな時にガイドをするようだ。 彼女は日本人が大好きだという。日本人の考え方、行動が好きだと云う。そのDNAは例え現在顕在化してなくても、日本人の身体に残っており、いつか必ず顕在化するだろうといっていた。 |
Tashkentの日本庭園 |
Tashkentの日本庭園 |
平山郁夫像 ウズベキスタン芸術アカデミーの入口にある |
ウズベキスタン芸術アカデミー |
ウズベキスタン芸術アカデミー |
ウズベキスタン芸術アカデミーの展示品 |
チョルスーバザール(チョルスーとは「四つの道」の意味らしい)。 Tashkentの巨大バザール。奥に見えるのが2階建ての円形チョルスーバザール。 |
チョルスーバザール入口の階段。 |
チョルスーバザール入口。まだ2階建ての円形バザールには入っていない。 写真を撮りだしたが余りに大きく、店員の表情・声が入った方がよいのでビデオに切り替えた。 |