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キルギス・ウズベキスタンの旅 地図集 
 
 
 
 
中央アジア地図   引用:「世界大地図」正井泰夫(著) 小学館 
キルギスはほとんど山岳地帯である

平均標高2750m
画面の拡大/縮小方法:「Ctrl」を押しながらマウスのスクロールを回してください。 
 
 
 
中央アジアとキルギス(右のブルーで囲まれた地域) 
米国はアフガニスタン作戦のためBishkekのマナス空港に12年間基地を持っていた。2013年終了。
 
 
キルギス(で囲まれた地域) 
中国、Khazakfstan, Uzbekistan, Tajikistanと接する
南西部はUzbekistan, Tajikistanと複雑に国境を接する。
中国KashgarからTorugart峠(Tor)を越えてキルギスに中国製品が運ばれる。
中国製品の中央アジアへの主要輸送路。
東端にPobeda, Khan Tengri, 西南にLenin峰がある。
 
 
キルギス南西部はUzbekistan, Tajikistanと複雑に国境を接する。
 
 
飛び地、enclave
U in K
とはウズベキスタンの領地(飛び地)がキルギスの中にあることを示す。
キルギス領内にタジキスタンの飛び地2つと、ウズベキスタンの飛び地が4つ、
ウズベキスタン領内にタジキスタンの飛び地とキルギスの飛び地がある。

当然民族の居住地/国も複雑。
 

上記の飛び地がある地域がキルギスのバトケン州 Batken。
平成11年8月23日、バトケン地区に、隣国のタジキスタンから
イスラム武装勢力が侵入。
地質調査を行っていた国際協力事業団(JICA)派遣の
日本人技師4人が拉致された。
バトケンの南はタジキスタン、その南はアフガニスタンである。
イスラム武装勢力にとって「飛び地」は有効な活動ルートであったと云われる


 
 
2017年4,5月のキルギス実移動ルート 
(北)Almaty→Bishkek→Suusamir→Kochkor→
At-Bashy→Torugart→Cholpon -Ata→
Karakol→Tamga→Arabel→Bishkek
 
 
2017年4,5月のキルギス実移動ルートをGoogle Earth上に表示 
ルートのGoogle Earth file はこちらにあります。
 
 
2017年5月のウズベキスタン実移動ルート  
Tashkent→Khiva→Bukhara→Samarkand→Tashkent
 
 
2017年5月のウズベキスタン実移動ルートをGoogle Earth上に表示  
ルートのGoogle Earth file はこちらにあります。
Khiva, Bukhara, Samarkandがオアシスにあることがよく分かる。
Syr Darya, Amu Darya が流れる。北西端にAral海。
Turkmenistanの西端にCaspian Sea。
地図の東側にはPamir, Hindu Kush, K2, Lenin Peak の名がある。




Bedel Passベデル峠について

長澤和俊氏の著書「三蔵法師の歩いた道」(青春出版社)のベデル峠4284m越えに関する記載を引用させて頂きます。p63。

「一行は7日の山旅の後ようやく山道を出ることができました。一行のうち凍病死した人が10人のうち3-4人もあり、牛馬はそれ以上倒れました。
(途中略)さて、玄奘法師は、熱海(注:イシククル湖)から湖岸伝いに西北に五百余里進んで、素葉(スイアブ)(水)城=砕葉城につきました。ここは、今のトクマク市の南約七キロにあるアク・ベシムの遺跡で、遺跡は巨大な城壁によって周囲を囲まれています。ここで、法師は突厥の王・葉護可汗(ヤブグカダン)に会いました。」


Bedel峠には1916年のロシア軍によるキルギス人大虐殺事件がある。
浜野道博氏「私のキルギス語ノート」2009年11月刊 非売品 p39、p40から引用。

1916年第一次世界大戦が膠着状態に陥ったときロシア帝国は兵員不足を解決するため中央アジアから徴兵を行うことに決めた。(途中略)当時の徴兵制度は各家庭から男子一子を差し出すのであるが兵役期間が25年もあり、結局永遠に働き手を奪われることに他ならなかった。(途中略)反乱が発生し、鎮圧するためロシア軍懲罰部隊が派遣され、満足な武器を持たないキルギス人はまたたく間に鎮圧され、部族毎、家族毎中国領(注:Bedel峠など)に逃亡した。ロシア軍は逃げるキルギス人を容赦なく虐殺した。(途中略)10万人を越えるキルギス人が犠牲になったとの記録がある。



なお、Bedel峠に行く途中に「Yshtyk」というところがある。「Yshtykとはキルギス語で「銃剣」を意味する(ロシア語のShtykから来ている)。ここで1915年のロシア軍によるキルギス民族虐殺を逃れてきたキルギス人たちが大勢銃剣で殺されたと聞く」との情報があります。

キルギスはこの事件の100周年に記念碑を建てて犠牲者を弔った。
http://www.trtworld.com/asia/remembering-the-dead-in-kyrgyzstan-181404


Bedel Pass の日本語表記
Bedel Pass は日本語ではベデル峠、ペデル峠、ベダル峠、の3種の表記がありますが、ここでは一番自然と思われるベデル峠としました。

ロシア語、英語、中国語、の表記は次の様になっています。
ベデル峠 = Перевал Бедель = Bedel Pass = 別牒里山口/Bedel Dabanなど)

日本語表記が混乱しているのはこの分野の著作で「ペデル峠、ベダル峠」の表記が使用されたのが原因と考えられます。少なくとも「ペ・・・」は中国語、ロシア語を見てもおかしいと思います。




キルギスについて
浜野道博氏「私のキルギス語ノート」2009年11月非売品から紹介させていただきます。

キルギス語とロシア語
キルギスは約80の民族が共存する多民族国家。キルギス国民の大多数はキルギス語(もしくは民族語)+ロシアの二言語生活者。

民族間の意思疎通を計る手段としてロシア語が公用語として使われている。

役所に出す資料はすべてロシア語(キルギス語と併記もある)。テレビ、ラジオは二言語平等扱い。

国会は二言語の同時通訳付きで審議。議員の発言がいつの間にかロシア語になっていた、ということもある。法廷はロシア語で審理される。キルギス語では表現できない学術用語が多い。理系、法学授業はロシア語抜きには実施できない。大統領候補者はキルギス語の試験に合格しなければならない。

二言語ともにキリル文字。ロシア語とキルギス語は全く系統が異なる言語。
ロシア語は外国語ではなく、「第二」母語。 キルギス語は学術用語の整備が必須。

ロシアはキルギス人が近代化の道を歩む上で大きな役割を果たした国である。ロシア語は旧「宗主国」ロシアの言語であるが、他のいくつかのCIS諸国と違ってキルギス人がそれがためにロシア語を忌避することはない。それどころか、今のキルギスタンでロシア語を排除しようとしても出来る話しではない。

キルギス語のローマ字表記の検討は棚上げされている。(アゼルバイジャン、ウズベキスタン、トルクメニスタンはローマ字表記に変更)

親近感を持つ国
2006年アメリカのギャラップ社の大がかりな世論調査「キルギスタンの国際関係において優先的地位にあるべき国を1カ国あげよ」。回答:ロシア83%、カザフスタン7%、米国4%、ウズベキスタン・EU・中国各1%。日本は1%にも及ばず。

別の調査で「経済、軍事、文化」でどの国に親近感を持つかと云う質問ではロシアが一番親近感を持つ国。

1917年のロシア革命で登場したソビエト政権は民族自決を打ち出し、キルギス民族は国を得た。レーニンがいなければキルギスはいまだにクルド人と同じように国を持たない民族であったろうと断言する人もいる。

ロシアは現在もキルギスタンをロシアの利益にとって深いかかわりのある国と位置づけており、アメリカや日本が積極的に進出することを快く思っていない。

(浜野氏)キルギスタンで生まれ育ったロシア人がキルギス人に対して尊大な態度を取る場面に遭遇したことがないし、ビシケクでロシア人だけの会などは見たことがない。(例外:サッカー等の国際試合でロシアが勝った場合、とロシア正教会の集まり。)

中国との関係

中国との貿易取引は年々拡大しており、キルギスに滞在する中国人は年々増えている。中国としても新疆ウイグル自治区の「裏側」にあるキルギスタンとの関係強化は自国の安全保障にとって大きな利益があると考えており、無償資金供与などで中国のイメージアップに努力している。

日本との関係
キルギスタンには日本人そっくりの人が多く、キルギス人には蒙古斑が出る。日本・キルギス同根節「祖先は兄弟で、魚の好きな方が海に去り日本人となった。肉の好きな方が山に向かいキルギス人になった」がある。日本の文化、経済に対する評価が高く、親日的である。
DAC諸国のODA 2013年実績は米国、ドイツ、スイスに次いで日本4位。17.5百万ドル。
日本の対キルギス貿易(2015年):日本からの輸出27.5億円(中古自動車主体)日本の輸入3.2億円(蜂蜜、フェルト?)
日系企業でキルギスに進出している企業はほとんど無い。日本・キルギスの物流ルートが複雑でコストがかかるのが大きな障害。

日本からキルギスへの行き方
一番無難なのがアシアナ航空で、Incheon経由Almatyに行き、陸路でBishkekに行くルートである。便数も多い方であり、欠航などのリスクが少ない。
次はロシア航空か?直接Bishkekに入れるのがよい。便数も比較的多い。モスクワ乗り継ぎ時間が長くなることがある。

ウズベキスタン航空は、キルギスとウズベキスタンの旅を行う時に好都合である。日本発は午前で天山山脈越えの良い景色が見られる。ただし、便数が比較的少なく、日本→Tashkent→BishkekのTashkentの乗り継ぎに失敗すると後が面倒。欠航リスクもあると聞く。




日本人キルギス抑留者 宮野 泰 さん 
タムガ村に日本人抑留者が125人いた。 
その中の一人宮野 泰さんがシルクロード雑学大学(歴史探検隊) 代表の長澤法隆さん等の尽力で
2度タムガを訪問し、
日本人抑留者が建設した建物が今も使われており,
日本人の勤勉で確かな仕事ぶりが高く評価されて、
今も語り継がれていることを知る。
 
 
宮野さんのタムガ再訪。左上宮野さん、
右上前列l中央宮野さん、右端長澤さん
右中央抑留者が建設したサナトリウム、左下タムガ
 
 
宮野さんの著書「タムガ村600日」(新潟日報事業者。2013年10月発行) 
 
 あとがき


 
 
 
 
キルギス・ウズベキスタンの旅 pdfはこちらから  
 
キルギス・ウズベキスタン 森多嘉子写真集
 
キルギス・ウズベキスタンの旅企画書